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浜松市制100周年おめでとう!!!

2011年9月 8日 松田 | | コメントを見る(0)

浜松市制100周年おめでとう!!!

 

2011/09/01 浜松市誕生、100周年を迎えることができました。
私の(松田むねき)誕生日は、9/2で一日違い、縁を感じます。
そこで、鈴木修 スズキ会長兼社長の言葉を引用して、浜松市のご紹介を兼ねて、歴史昔話を載せますね。

スズキ創業の地、浜松市が今月1日に市制100周年を迎えました。節目の年ですので、今回は浜松についてお話したいと思います。私が浜松に移り住んだのは53年前。飛騨の山奥で幼少期を過ごした私にとって、浜松は天国のようなところでした。温暖で雪も降らず、台風も来ません。街中から車で30分もあれば海にも山にも川にも行け、自然の恵みをたらふく味わうことができます。川ではアユ、海ではウナギにカツオが捕れます。山の幸といえばタラの芽にワラビ、ユリの根と枚挙のいとまがありません。最近は食する機会が減りましたが、イノシシやシカなども自然からの大切な恵みでした。

また、都会でないところが実にいい。いわば東京と名古屋の郊外ですから、雑踏で窮屈な思いをすることなく、ゆったり暮らせます。通勤ラッシュもありません。ほどほどに、文化的な香りも西から東から流れこんできます。こんなに「幸福度」の高い街は日本広しといえど、他にないのではないでしょうか。

食べるのがやっとの寒村では「明日をどうするか」ばかり考えて生きるしかありませんが、豊かな浜松の人たちは夢を持って生きることができました。だからこの地は多くの起業家や技術者を輩出し、日本の社会を豊かにした製品を世に送り出すことができたのです。

地元が生んだ起業家といえば、何と言っても浜松のお隣、湖西市出身の豊田佐吉翁でしょう。皆さんご承知の通り、織り機を発明した発明王です。スズキの創業者、鈴木道雄も同じ頃、浜松で織機を開発しておりました。「ポンポン」と呼ばれたオートバイを生み出したホンダ創業者の本田宗一郎さんも浜松出身。テレビの父とされる高柳健次郎さんも浜松で、ヤマハの山葉寅楠さんは和歌山のご出身ですが、浜松でピアノの製造を始められました。
浜松で生まれ育ち、右肩上がりで成長する時代を駆け抜けた人たちは幸せだった。だって、もっと豊かになりたい、自分の夢を叶えたいと思って、頑張ることができたのですから。特に戦後、製造業の発展とともに浜松からは「貧しさ故のハングリー精神」が薄れ、「豊かさ故の活力」がみなぎるようになります。これが血気盛んな浜松の「やらまいか(やってやろうじゃないか)」精神です。私も「やらまいか」と社内を鼓舞し、ホンダさんやヤマハさんに追いつけ追い越せで頑張ってきました。

しかしこの20年で、浜松というより日本の社会全体が大きく変わりましたね。右肩上がりの成長が終わり、閉塞感が充満しています。浜松の豊かな土地柄は変わりませんから、そう簡単にハングリー精神は起きません。徐々に「やらまいか」の掛け声は小さくなってしまい「しょんない(仕方ない)」と観念する市民が増えているように思います。

浜松市民は、攻めの時は威勢がいいのですが、受けに回るともろさを見せるところがあります。街の「大将」が「やらまいか」と声を挙げると、みんなで担いでワーッと盛り上がるのに、劣勢に回るとだれも声を挙げずシーンと静まりかえるのです。付和雷同というのでしょうか。人任せで、自分では立ち上がろうとはしない。歴史を振り返ってもわかるように、常に勇ましいリーダーがいたからでしょうね。徳川家康が若い頃に藩主を務めた浜松城は「出世城」と呼ばれ、家康以外の藩主も幕府の重役に昇格していきました。江戸時代からリーダーに恵まれていたことの証しでしょう。
浜松のもろさを象徴したのが、今回の東日本大震災の対応。誰かが「とりあえず自粛しておこう」と各種イベントの中止を提案すると、後先を考えず「しょんない」と雷同し、結局景気低迷に拍車をかけてしまいました。ここまで振り返ると、ちょっと浜松のことを悪く言い過ぎたかもしれませんね。100周年という門出に、水を差したようでごめんなさい(笑)。でも、どうでしょうか。浜松のこの状況は、戦後の日本全体に言えることだと思いませんか。

震災を機に、日本中で強いリーダーを求める声が高まっています。しかし、歴史的な転換点を迎えたいま、リーダー一人で世の中の流れなんて変えることはできない。この時代を生きていく全ての人が、歴史を作る主人公になる勇気と決意が必要なのだと思うのです。人任せの日本人気質では、これからの100年を描くことなんてできないでしょう。

では、どうすればいいのか。残念ながら私にも明確な答えはありません。ただ最近、私は若い人たちと話す機会があると「自分の知らない世界に飛び込みなさい」と言うようにしています。成熟した日本のぬるま湯につかっていては夢も希望も描けない。それなら新しい環境に身を置き、自分の力のなさを自覚し、明確な目標を持って欲しいと思うからです。勇気と行動力のある若者を育てなくては、日本という国が沈没してしまいます。

「少年よ、大志を抱け」。クラーク博士がそういったのは、日本に新しい時代が幕開けした明治初期だったでしょう。今の日本にも「平成の幕開け」が必要な時期だと思うのです。日本人一人ひとりが大志を抱き、新しい時代へ一歩踏み出さなくてはならない時が来ているのではないでしょうか。

人ごとのように言ってしまって恐縮ですが、私もそんなに先は長くありません。あの世から若い皆さんが作り上げる次の100年の浜松、100年後の日本を見てみたいと思います。

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